2013年7月10日水曜日

解らせたら終わり。解った時には終わり。母校でお米料理の開発授業に関わる

当地に「華麗舞(かれいまい)」という、ジャポニカ米とインディカ米の性質を掛けあわせた米がある。始めは、某食品メーカーが開発に携わり、キャンペーンを行ったのでご記憶の方もあるかと思う。
その食品メーカーはカレールーを主力商品に持ち、華麗舞は新しいカレーの食べ方を提案しようとしたものだ。

妙高市は日本有数の豪雪地帯で美味しい米の産地でもある。
米農家が多く、その味にはシビアな自己基準を持っているのだが、果たしてこの華麗舞がどこまで多様化した現代の消費者、そして生産者に受け入れられていくのだろうか興味のあるところである。

というのも仕事として幾度と無くメニュー作りに取り組んだこの華麗舞。
素材そのものを活かすこと、そして地域に密着した産品として育てる事の意義と壁に挟まれ、その度現実を見ているのである。

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本日、私の母校でもある新井小学校の5年生の授業に招いていただいた。秋に行われる市内の小学校の合同イベントに向けた食品開発に関する、講話と試食会のゲストとしてである。

何度かお邪魔しているこの小学校は、昨年建て替えられ広々として明るい。
旧校舎とは異なるオープンな環境が、想像力を育んでくれそうな雰囲気を醸す。
その、ホールと呼ばれる広間でプロジェクタを使い話をした。
その後、調理実習室に移動。父兄のボランティアも加わり試食品の仕上げ、教室前の共同スペースで試食となった。 

話は逆になったが、市内の小学校の合同イベントの名称は「米こめサミット」。
米こめサミットは各学校の5年生が開発した米料理を持ち寄って情報交換をするものらしい。そして、新井小学校はスィーツをテーマに選んだのだという。同小学校は校区の米屋さんの全面サポートを受けながら、妙高市のオリジナリティ溢れる米「華麗舞」を栽培から取り組んで成果を出そうというものだ。

私の講話のテーマは「妙高の素材を活かしたデザートを作ろう」

先ず、宇宙から見た丸い地球の写真からスタートだ。
次にヨーロッパ、アジアの代表的な”米スィーツ”を紹介。
続くは日本である。日本の米のスィーツは? 妙高の米のスィーツは?
と子どもたちに聞くと、「もち」「ケーキ」「パンナコッタ」 ・・

いささかズレているような気もしたが、日本、そして“地域産の材料から派生した甘味(甘いおやつ)“という認識は子どもには理解されにくいようだ。
街場の子ども達にとって、スーパーやコンビニが食料のスタート地点であるとすれば、同列に並んだおやつの産地や文化など理解されなくても当たり前の事なのだろうか。

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実は予見事項としてあった「華麗舞」「ミルク炊き」「砂糖」という粥状のものを、どう美味しくアレンジしようか?というお題に対して、私は身の回りの山野にある「大豆、栗、クルミ、柿やイチジク」、そういった素材の提案を喚起するべく、プレゼンを仕込んできたつもりだった。
試食では、何の抵抗もなくスーパーの陳列棚にある、 ジャム類、コンデンスミルク、きなこ、こしあん、ミックスナッツ、ココナッツミルク、コーンフレーク、チョコレート、缶詰の各種フルーツがトッピングとして並んでいたのだが、このいくつかを除いてはまさに周りを見渡せば存在するものである。

私は、喉のそこまで出かかった言葉を飲み込んだ。「・・・・・・。」

それは自ら気づく瞬間の感動や価値を知っているからで、
私はその環境を整えてやる大人の役割を有していると。

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余談になるが、待機する間に通された校長室には歴代の校長の写真が。高野校長、石原校長。私が在校中には”手の届かないほど偉い人”という印象があったお二方の写真を見つけた時には感慨深いものがあった。

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2013年6月28日金曜日

天然酵母に学ぶ味覚の自然回帰

麹からの味噌作りで発酵の不思議を体験しながら、生みそ(酵素が生きている味噌)の熟成やそれならではの香りの素晴らしさを身につけると、食品の持つ個性という美味しさの原点にぐっと近づいていく。
これが「麹からの味噌作りワーク」の本来の目的だった。

和食は日本の文化であり、地域に伝わる伝統食や郷土料理は素直に日本人の味覚に訴えるものがある。
但し、食文化の可能性はそれで終わるものではない。文化は新しいものを取り入れて変化していってこそ淘汰と成長があり進化へと繋がる。

次なる提案は果物から派生する発酵文化である。
「天然酵母パン」は言葉として浸透しても、これがいったい何の事なのか自分なりの解釈を持っている人は多くない。パン食の文化が希薄なのだ、いや日本的と言うべきか。

米は育つ姿が身近にあり、精米、炊飯、ある時は団子を作ったり、食べ比べたり・・。
パンはパン屋を選ぶか、並んでいるパンを選んで買って食べるのが殆どだろう。パン屋の陳列棚を覗いてみれば、そこの地域の文化が分かると言っても言い過ぎではない。

パンと言えば菓子パンや惣菜パンを軽食代わりに食べるイメージが強くないだろうか。
例えると「おにぎり」。
梅にしようか、たらこにしようか、ツナマヨにしようか、おこわにしようか、チャーハンおにぎりにしようか、といった具合で、多様性はパンにもその現象が現れている。
米粉パンや天然酵母パンもそのラインナップに上がる。
このパンの食べ方が、私が日本的と言う理由である。

パン(粉)の美味しさはどこに行ったのだろう、香りは?
食事パンとしての、米で言えば白飯の美味しさを水にまで遡って味わうといった食文化を”忘れさせられて”いないだろうか?
味噌を手作りして、野菜の味や献立にまで気づきを及ぼしたように、パンにおける天然酵母も食卓に変革をもたらす救世主の一つと捉えているのだ。

その最初の一歩。
今回のワークでは、
1)天然酵母って何だろう 2)天然酵母に触れてみよう 3)素材の美味しさを味わうメニュー
という流れで、座学と実習で「美味しいパンが導く食卓」へベクトルを向けてみたいと考えている。

先ずは資料編


【桑の実の採取と酵母起こし】

http://farm8.staticflickr.com/7286/9147535447_11643920ed_n.jpg 2013年6月14日猿橋地内にて桑の実を採る

http://farm8.staticflickr.com/7393/9147529917_54b8e75e89_n.jpg 同日はちみつを加えて酵母液作りを開始

http://farm8.staticflickr.com/7329/9147528845_fb06c31608_n.jpg 蓋を軽く閉めた保存瓶で、毎日一回は振って空気を抜きながら21日(7日後)。汁を濾したものが酵母液。軽く発泡しているのが解る。


【小麦粉と酵母液の混合生地の発酵の様子】

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2種類の酵母液を比較しながら毎日一回粉を足しながら培養していく。

最終的に桑酵母は過発酵となり、酸味を持つように。この違いが生き物であり、一律のレシピで誰もが同じようにパンが焼けない理由である。

詳しくは講座でご説明いたします。

2013年6月18日火曜日

クヌギの殻斗(かくと)が導いた新たな画材

この苗と私の描くシナリオを想象してドキドキできる人はこの指とまれ(笑)

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今年の4月においしい里山学校でお世話になった矢代地区の安原さん、小島さんと山菜の事前仕込中に発見したクヌギの種が芽生えた。

クヌギは私にとってフラグ付きの植物。殻斗(かくと)を探していたのだ。

殻斗とはどんぐりの傘。とくにこのクヌギの殻斗はアフロヘアのかつらのようで形がユニークなのだが、用途としては「織部釉の酸化皮膜取り(緑色を鮮明にする)」と「貫入の染色」のため、やきものの材料としてクヌギの殻斗の汁が欲しかった。もちろん一般的にはは代用品で済ます。(余談になるが、わざわざ非効率な事を何故やるか?・・それが自然でかつ未経験のことであれば決して無駄にはならない。数年経ってからでも必ず。時間がかかればかかるほど面白い。)

クヌギの木は見つかってもどんぐりがなるとは限らない。4月10日は、そんなこんなで3年ほど探してようやく大量ゲットできた記念日だった。

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地面に落ちて冬越しをしたどんぐりは春には割れて根が出始めている。生命力あふれる姿に惹かれて数個持ち帰り植えてみたという訳。

今、仲間と小濁をモデルに行なっている復興とエコのプロジェクト「復興鈴・ふっこりん」では、薪の窯で地元の土を焼くプログラムから環境を考えるワークを展開する。もちろん薪も身近なところで調達するのだが、山、森、灰・・自然と暮らしの見事な連携を映してくれるのがやきものなのだ。

「私も加わえてよ!」クヌギの苗がそう私に訴えている。

2013年6月16日日曜日

手作りの美味しさは食べた後にじんわり表れる(「奇跡のダンゴ」のワークで)

昔の農家はくず米も無駄にせず粉に挽いておやつにした。
6月頃、春から伸びた笹は程よく成長し香りもとても良い。田休みにそんな笹を採ってきて、近くに生えているヨモギ、道路端や斜面に生えているスゲを利用して見た目もかわいい笹団子を作り、自分たちの食べるものに手間をかける事を楽しんだのだと思う。

農に勤しむ暮らしでは、当たり前にある身近な材料を使って里山の自然を映し出す笹団子こそ、この時期最も楽しみな暮らしのイベントだったのではないか。
このごく当たり前の事が現代では特別なことであり、贅沢と呼ばれる。それが今後、幻や奇跡と呼ばれるようになってしまうなど、断じてあって欲しくない。

本日のワークショップが終了し、さぁ片付け。といったところの一枚。


笹団子やチマキを食べ終わった跡を眺めながら、「今のコンビニ弁当では同じような気持ちにはなれないな・・」としみじみ思うのである。

大量に出るプラスチックゴミは、この後どれだけの労力とエネルギーと時間をかけて自然に戻していくのだろう?
お金を出してゴミを買い、またそれを処分するために費用をかける。
「安くて便利」のために、大量に作って大量に消費させられる仕組み。
自ずと素材は全国各地からエネルギーを消費して集められ、それがいかにも価値があることのように見せかけられるが果たしてそうだろうか?
効率を重視して製造され、廃棄されるものにホンモノの美味しさは無い。私はそう思う。

4月のヨモギ採りに始まって、農家から分けてもらった小豆、地元のうるち米、もち米、近くの笹。そして今では珍しくなったオヤマボクチを突き込んだ笹団子。美味しさは食べた後にじんわり表れる。「今晩か明日の朝、きっと体調がいい筈ですよ」そう絞めて本日のワークを終了した。
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『奇跡のダンゴ』2013.6.14〜15 妙高山麓都市農村交流施設に於いて
話題の奇跡のリンゴをもじって、地産池消や健康的な手作りの食品の価値を知るワークを開催
●ヨモギの処理や、笹の使い方、保存の仕方、選び方など。”笹団子の元”に入っている添加物について。フードマイレージや地産池消について。

●上越産大納言小豆を煮る(1日目)

●鍋の奥に見えるのは私が育てたオヤマボクチ(通称ヤマゴボウ)。これを潰してヨモギと合わせ餅に突き込む。(2日目)

●米は妙高産のうるち米ともち米を施設に持ち込み、製粉する(1日目)

●チマキは一人3個、笹団子は一人10個。餅の加工は各自が行う

●出来上がった料理(2日目)
チマキ、三五八漬、イタドリの葉の上にニシンやゼンマイ・フキなどの炊合せ、天然の出汁と手作り味噌の味噌汁、きな粉、笹団子

2013年6月6日木曜日

全てが土に還るから

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例えば田んぼの土で、そこにいるタニシの殻と稲わらを釉薬にして茶碗を焼いて、そこで取れた米を炊いて食べる。

これは贅沢なのではなくて、自然。

自然こそ一番のごちそう。

 

土が大好き!特に身近な土。

土から全てが生まれている。なぜなら、最後は全てが土に還るから。

 

乾かしてみる。漉してみる。擦ってみる。焼いてみる。・・

綺麗だし個性的。本当に個性的!

 

ブクっちゃう土は灰汁を抜いて。

溶けちゃう土は焼成温度を下げて。

それでも溶けるなら釉薬や絵の具に。

 

ダメな土なんて無い。

ダメなのは、ダメ土と決めつけて土に合わせようとしない自分勝手。

土はいろんな事を気づかせてくれるんだ!

2013年5月30日木曜日

私の仕事は誰のため?菜の花が蒔いた本当の種

料理を作って商売をして30年になる。

私の仕事は誰のためだろう?

● お金を稼いで自分や家族が暮らしていくため

● 美味しいものを作ってお客様に喜んでもらうため

● 美味しいものを食べている姿を見たり、スタッフとそんなお客様楽しい時間を共有するため

● 食材や料理を通して、文化の伝承や食環境の保全に寄与するため

ざっと思い当たるところを挙げてみるが・・。

  

私は高校を卒業後の就職先を東京のホテルを選んだ。友人はみな大学進学の進学校の公立の普通高校に入ったが、入学後に選んだ進路は就職だった。

家業であるレストランを継ごうと思い、それも単純に山とある古い食器が勿体ないというのが発端だったと微かに覚えている。

ホテルの入社試験の面接の際、「祖父の料理に対する情熱が..」と口から出てしまったように、私が料理を作る意味はモノに対する思い入れや人の思いを繋いだり伝えたりするための表現方法のような気がする。

それが、何故料理で無くてはならないか?というのはその後の経験値によるが、
究極誰のためか?と問われればそれは単に自己実現や自己満足かというと、きっとそうでは無い。

 

去る5月26日(日曜日)に菜の花まつりという催しが妙高山麓都市農村交流施設とその周辺で行われた。妙高市の主催、妙高市グリーンツーリズム推進協議会の企画、運営ということで、私がメイン会場のレストランを任せられた。

 

「妙高はなまるレストラン」

…村シェフによる地元の食材を利用した特別料理、というふれこみで。

▼当日のメニュー

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当日頂戴したアンケートのご意見は様々。味やサービスに好評を沢山いただいた中、メイン料理が遅いとのご意見も。お待たせしたお客様には申し訳なくプロとしては問答無用。しかし状況を考えて内心は寛容、かつ次の仕事に活かすのみ。

 

料理は誰のためか

 

例えば今回のテーマから考えたメニューは、第一に菜の花を楽しんでいただこう。そして大洞原の食材を使おう。妙高の食材を知っていただこう。・・・そして集めた素材は多種多様。

菜の花、菜種油、牛乳、じゃがいも、米粉、華麗舞(米)。

地元産がすべて正攻法でストライクなものばかりで無い。さらにコストがかかる。提供されたものであっても仕込み時間は一般の方が想像もつかないほど係ることも少なくない。残った材料は回せない。人件費もかけられず、リスクが大きすぎる仕事。

イベントの仕事は目的地を見失わず、目標をクリアし、いかにプロとしての提案ができるかではないかと思う。そしてイベントに限らず、お客様同様に働くスタッフに何を残せるかではないか。

私は私ならではのメッセージを皆さんにお渡ししたつもりだ。それはいつどこで何によって誰のために発芽するかは解らない。

 

http://farm6.staticflickr.com/5334/8885046445_650e42b5d3_n.jpg ●前日。開ききってしまった一面の油搾用の菜の花畑から蕾の多いものをピックアップ。

http://farm8.staticflickr.com/7338/8885680660_700b23e9b0_n.jpg ●「みん菜の油」昨年搾った花畑の油。味はナッツ系、癖も個性も弱め。これをたっぷり使う。

http://farm4.staticflickr.com/3709/8885049791_8708fd57ac_n.jpg ●地元産の豆腐の水を絞り、私が起こした麹の塩麹でマリネしてオードブルに。

http://farm8.staticflickr.com/7421/8885676908_3cb2ff6b84_n.jpghttp://farm8.staticflickr.com/7378/8885675320_85ec66a94a_n.jpg ●手作りのチキンベースの白ソーセージ。前日に収穫した都市農村交流施設のセージを刻んで入れてある。無添加。

http://farm4.staticflickr.com/3788/8885140157_3bfbb98392_n.jpghttp://farm9.staticflickr.com/8554/8885672150_2160ec6606_n.jpg ●大洞原産のじゃがいも。メニューを書いた後に渡された、この品質に下ごしらえに手こずる。妙高市産の米粉とニョッキに。

http://farm4.staticflickr.com/3742/8885965188_f72ee29f15_n.jpg ●華麗舞はピラフに。地元のハンターより譲ってもらったイノシシ肉でカレーソースを仕込む。

http://farm6.staticflickr.com/5344/8885054693_7ed4ba562a_n.jpg ●打ち合わせから、チケット作り、準備や配膳まで協力してくれた大勢の主催スタッフ。お疲れ様でした。

2013年5月12日日曜日

成功とはミスをしない事とは違う。を山菜料理で例えると

美味しい料理は、美味しい物を作ろうと思ってこそ生まれて来るものだと思っている。

「まずいと言われないように」に固執すると、冒険することもなく望まれるがままのメニューを作り、しょっぱいですか?甘いですか?をその都度聞いて味付けすることにもなろう。

そして偶然の感動を呼び寄せる事もない。

 

料理を作るかたに分かって貰いたいのは、自分で枠を作ってしまわないで欲しいということ。

鯖なら味噌煮でしょう、新しければ〆鯖でしょう。フキノトウなら天ぷらととりあえずふきみそでしょう。山菜は郷土料理で和食でしょう、等々。

そもそも和食という枠なんて誰が決めたの?それくらい思って欲しい。

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(あけびづる、クレソン、ワラビを使ったサラダ/ウルイを添えた木の芽ソースの魚料理/コゴミとウドを組み合わせたパスタ:2013年5月12日の料理教室にて)

今日のワークショップで、「ウドってこんな食べ方が出来るんだ!?」と感心したり、「ワラビにドレッシングをかけるのって意外だった」。などと感想を持たれた方はいなかっただろう。

感想があるとすれば「素材の味に気づいた」や、「私は今度こうやってアレンジしてみたい」。

つまり、+のインスピレーション。それは、まずいと言われないようにと作った料理には無い大切な”伝達”(人から素材へ、素材から人へ)である。醤油味だと思い込んでいたワラビ料理のことなどもはや忘れてしまっている。

 

作り手は成功へのトライができる一方で、食べる側にはそれが薄い。今日は寿司が食べたい、今日はとんかつが食べたい。という具合で具体的かつ枠を超えにくく、ミスをせずその目標を達成したいと考えるものだ。

 

素材の持つ潜在能力、作り手の表現力は「定番」と呼ばれる料理の枠などなんなく飛び越えてしまう。そこにあるのは、新しい(今までとは違う)という表現ではなく「美味しい」である。「まずく無い」では無いことはもはやお分かりの通り。

そして同じ事が、学校教育でも、街づくりにも言えるのではないかと思う。