2013年4月30日火曜日

ウドの平丸で山菜リレー「誰から何を誰に繋ぐ?」

地域から人を取ったら何も残らない。私にとって平丸(ひらまる)はそんなところ。

スゲ細工や山の幸と言えば平丸の代名詞と言っても過言ではない。しかしその守り手も年々少なくなり幻となりつつある。

命は尽きても魂(気のようなもの)は受け継がれる。そんな地域に受け継がれた土地の魂を、食を通じて人に受け渡すこと、それが私の仕事である。

地域を守ろうとしてやる事業は意味不明な事が多い。誰から何を誰に繋ぐのかな?

形ある物しか見えないうちは時間をかけて人を育てて行くこと。先ずそれから始めるべきと思う。

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毎年のように地すべりで補修工事が行われる生命道路を通って平丸に向かった。本日の仕事は、平丸の山ウドをキーワードに、山や山菜と触れ合いながら平丸地域の魅力を体験していただこうというもの。平丸の石田敏郎(としお)さん、セツさんご夫婦にお世話になった。

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先ずは山を案内していただき石田さんの管理地内で山菜採りをさせていただく。

地域の公民館をお借りし、参加者全員で山菜料理を作り、一緒にいただく。

それはそれはおいしい。なぜか?

 

 歩いたことも無いような山の農道の行き来に疲れたせい、

 芽吹きの山々をバックに記念写真を撮ったうれしさ、

 カマを持たされ夢中になってウド掘りができたせい、

 地元の最高の山菜をその場で調理していただいたから、

 

違うんだな。これは参加した人にしか解らない答え。

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天ぷら(スイバ、ヨモギ、トリアシ、コゴミ、フキノトウ、コンフリー)、ギンブキ(ウルイ)、アズキナ、コゴミ胡麻和え、笹寿し(山菜、大根味噌漬け、シソ)、ウドやコゴミの入った山菜汁

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石田さんの山菜畑

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向こう谷の山肌。段々田んぼの名残という。

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もぐさ観音と2000年の観音堂落慶法要での記念写真

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会館地階にスゲ牛とスゲ馬。3年前からもぐさ観音の祭礼で引かれなくなったという

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セツさんの指導でウドをキンピラに。柔らかいしかも採れたてだからできるいただきかた。

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会館で参加者を囲んで石田敏郎さんとセツさん。

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アズキナ(ササギナ)、雪消えの後に始めて食べられる青いもの。フキノトウや木の芽とは違った嬉しさがある。

2013年4月27日土曜日

餅草の季節(奇跡のダンゴ作りに向けて)

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雪が溶けてフキノトウに食べ飽きた頃つくしに少し出遅れてヨモギが生えてくる。
新井南部地域ではモグサと言う人が多いね、モグサとはヨモギの葉を繊維にしたものでお灸などに使うものの事だけど、夏の盛りにこれを採ってモグサ用に売っていた名残りだと思う。今でも細々とモグサ売りの習慣はあるようだ。

南部の平丸は田んぼが作りにくくその代わり山の幸の宝庫。下平丸では毎年4月18日は「もぐさ観音」という祭がある。初嫁さんが氏神様へお参りに行き、その名の通りのし餅にしたもぐさ餅を供えるという。採れたてのヨモギをサッと茹でて餅に突き込めば出来上がり。まだ芽のうちのヨモギなら繊維も柔らかくアクも少なく淡い緑色の餅が楽しめるので、一般的なヨモギ餅とは風合いが違う。

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笹団子は越後の名産として有名である。
小豆あんをヨモギ餅で包んで、笹を2〜3枚使ってくるんでからイグサで縛って蒸し上げる。
笹の香りにヨモギの香り、繊維の食感を楽しむという、いかにもロハスで見た目にも可愛いおやつだ。 この笹団子に使うヨモギは一般的には乾燥ヨモギである。製菓用で安価で出回っているものは中国産が多いようで、色もよく出てそれらしい出来栄えになるのだが、やはりそこは自分で準備したヨモギを使いたいと考えてしまう。

笹団子に欠かせないのはもちろん笹。
その年の笹が収穫できるのが葉が固まってくる6月中旬で、生の笹を採って使うと香りが最もよいし、季節感が漂うので、そこが最も拘りたいところ。
ならヨモギもその時にと思うのだが、そこ頃には葉は固くなってアブラムシがつきやすくなる。春先のヨモギは笹団子にはアクも少なく繊維も柔らかい。ひょっとしたら上品過ぎるかもしれないのだが、手作りらしい風合いが滲んでくる。
私はこうしてヨモギは春の良い時期に採って冷凍保存をするようにした。

この笹団子の手作りの楽しさを体験していただこうと、今年、「奇跡のダンゴ」というワークショップを計画した。名前を見てピピッとくる方も多いだろう、そう、木村秋則さんの奇跡のリンゴをモジった。
このワークショップは、出来る限りの手作りでこの笹団子を作ってみようという試みだ。クライマックスは6月15日と16日、妙高山麓都市農村交流施設で行う。
普段、越後名産として食べている笹団子の作られ方など紹介しながら、米もその場で挽き、小豆を煮る所から始めるという2日がかりの笹団子作りを行う。

http://farm9.staticflickr.com/8403/8685043032_0b6e111182_m.jpg収穫したやわらかい新芽の餅草

http://farm9.staticflickr.com/8120/8685043522_353444226f_m.jpgさっと茹でるて水にとる

http://farm9.staticflickr.com/8118/8685043758_9c6e203ca3_m.jpgアクも少ない。葉が固くなった餅草は黒い汁が出るほど

http://farm9.staticflickr.com/8262/8683923965_cd98d4cc66_m.jpgアクの出具合を確認して、半日ほど水につけたものをミキサーで細かくする。

▲そして小包装にして冷凍保存しておく。

 

笹団子作りの手始めはヨモギの処理を紹介した。次は笹取りを行う予定。

2013年4月13日土曜日

あっぱれ自然!を体感させてくれた矢代地区のナビゲーターは

妙高市矢代地区の自然を味わうプログラム。案内をかってでてくださったのは安原典哲(のりあき)さん。
地域で頼み事をするとたいてい”男の人”が先頭をたっておいしい所を紹介してくれる。両善寺もそうだ。この地域と共に暮らす人が一番のご馳走だとしみじみ思った。


好天に恵まれたこの日、私たちは安原さんに連れられ地域の歴史、植物や動物の生きざまを見せていただいた。
「戦略」という言葉が安原さんの口から何度も出てくる。
過酷な雪や弱肉強食の過当競争の中で生き物はどうやって自分たちの社会を作ってきたのか?
自然界は、気づく機会を無限に与えてくれる学びの場なのだと思う。

(矢代の米はこんなパノラマで作られる)

散策を終え安原さんが腕をふるう。
取ってきたばかりのふきのとうで作るふきみそ焼き。ふきのとう、味噌、かつお節、砂糖等の材料を刻んで朴の木の板に載せバーナーで炙って作る。


味噌は米から麹をおこして自分で仕込む。朴の木も木を削って作ったもの。箸置きは黒文字の枝を削って用意してくださった。至極当然の食生活と思っていらっしゃるようだが・・。
私には、これが安原さんの普段の楽しい暮らしそのものだと思う。安原さんは地域の自然の一員だった。

今回材料は地域の方と何日もかけて用意していただき、お米は小島さん(しもやしき)の提供。メニューは安原さんが全て考えてくださった。そして友楽里館からのサプライズのプレゼントも。

人生の中で価値ある一食。心からご馳走様でした。

矢代の大地に生えてきた山菜のアラカルト


左奥より/コゴミ(マヨネーズと醤油)、天ぷら(ギシギシ、地元シイタケ、フキノトウ、フキの葉、ヨモギ、イタドリ、コゴミ)、カンゾウの酢味噌和え、カタクリのおひたし、春株ネギの酢味噌和え、コゴミ、根セリと矢代豆腐の味噌汁、矢代米のおにぎり
写真外/ふきみそ焼き(朴の板)



この料理は、蕎麦ガレット。蕗味噌やきな粉で作ったペーストをつけて食べる。



このプログラムは・・・
  • 村シェフと行こう!おいしい里山学校「妙高山菜コース(矢代編)」
  • 4月13日(土)両善寺北部集落センター・周辺

次回は4月29日「妙高山菜コース(平丸編)」です。


2013年4月11日木曜日

我が心のブランドを芽生えさせるツーリズム 開講

誰しも大切にしているブランドがあると思う。それが生まれ育った地域のものであれば格別なはず。縁があって暮らしている土地に愛着が生まれ、そこに住む人、自然によって育まれた”文化”こそ、有名無名に関わらずブランドと呼ぶべきはないか。

多くの人がそれと認める「矢代米」。”矢代”とは妙高市両善寺(Google mapで両善寺を表示)周辺地域から矢代川を下る一帯の地域を指す。
「火打山の伏流水を水源とする冷涼な水が、最初に流れ込んだ一連の田んぼで育った米こそ矢代米と呼ぶのだ。」とか諸説あるが、当地に出向いて景観を眺めると確かに矢代川の下流域の田んぼと景観を異にしていることに気付く。

この地にある千代の光(地下水を汲み上げている)という日本酒の酒蔵は、良い水と米を象徴する看板のような存在だ。矢代豆腐という豆腐屋さん、友楽里館という地域の組合が運営する体験宿泊施設もある。
昨今、広告やマスコミを通した情報はあまりあてにならないと思われつつあるようだ。地域の人と繋がって自らの足で確かめ、自分のオリジナルブランドを探す醍醐味を味わえるツーリズムこそ今最も豊かな旅ではないか。

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両善寺周辺はなだらかな扇状地に田んぼが下へ下へと連なっている景観が特徴だ。太陽の光をたっぷり浴びて下る清らかな水に、肥料持ちが悪いと言われる黒土の田。風が時折強くふぶき、雪解け直後の田んぼのさざ波が矢代の景観を一層印象付ける。

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西に連なる難波山の方角に目を向ける。(2013年4月8日撮影)
これから一斉に草や木の芽が噴き出してくる、雪国の大地が目覚める瞬間である。5日後、ここ両善寺を舞台にして「おいしい里山学校」の第一回が開講される。

 

「村シェフと行こう!おいしい里山学校」について

2013年4月〜2014年3月まで全19回の予定で開講される本講座は、妙高の食材を通して妙高を感じていただく事ができる村シェフプロデュースの食のワークショップです。
おいしい食を求めて実際に生産地を訪れ、生産者や住民と触れ合い様々な学びをもらいましょう。もちろん一緒に料理を作り舌も満足させましょう。
現地の案内人の生の言葉に耳を傾け、季節感あふれる大地に足を踏み入れ、土地の空気を吸いながらおいしい里山に迫る体験をご提供します。

プログラムの詳細のお問い合わせ、お申込みは随時妙高山麓都市農村交流施設で行なっています。

2013年4月9日火曜日

素晴らしい師から習うことは多くの課題を見出すチャンスである

話に聞いていた石川克也さんの蕎麦を体験した。
蕎麦を蒔き、手刈りで自家製粉。現在専門の蕎麦屋を営んではいない。千代田区の和食店で修行の後、妙高で蕎麦の腕を磨いたそうだ。
仕草が美しい。ハキハキとした性格で人当たりが柔らかく、上手くおだてながら指導してくださるので、その気になってしまいそうだ。

ところで、この不思議な「蕎麦」という料理 ー
「香りとは、喉ごしとは、風味とは・・地域によって混ぜるものも違う。蕎麦打ちに大切なものは何なのか?」
あまりに入り口が多く奥の深い。それゆえ真剣に向かい合う機会を失っていた。
蕎麦に限らずこう言ったもの、身の回りに多いと思う。

流行っている店が必ずしも旨い訳では無い。実際に店で味わって自分なりの感想は持てても、それが何によるものか?は仮設の範疇を超えることは無かった。
さらにおいしさを自分のものにするには何がしかの基準を持つことが大事だろう、今日はそのチャンスだった。

蕎麦の材料の説明から入り続いて打ち方。そして打ち上がった蕎麦を前にする。
先ずは私の蕎麦を茹でてもらい試食をする。蕎麦の香りがほんとにいい。今日習ったのは「二八蕎麦」。小麦粉が入っているという先入観を失ってしまうほど蕎麦の味がしっかりと出ている。
もちろん普通に繋がっている。・・これが自分が打った蕎麦?と見紛うくらいまともな蕎麦である。

私の蕎麦

続いて、石川さんの打った蕎麦を試食して唖然。全く別物。

石川さんの蕎麦(右は太さを変えて切ったもの)

箸でつまんだ時の姿、口に入る時のまとわりかた、そして風味、香り。
具体的な僅かな違いの集合が、結果的に歴然としたおいしさの違い。


蕎麦打ちを自分でやったような気になっているが、最も大事な部分は全て石川さんがやってくださっていた事は解っていた。そこをいかに自分のものと置き換えていけるかで、自分の蕎麦の世界が見えてくる。そう理解した。