2014年12月30日火曜日

不味いは見て解るもの、おいしいは食べて伝わるもの

決して背伸びしない。しかし「身の丈にあった」という言葉が嫌いな私です。
強い意思や思い、緊張感、そうした内面に向けた努力が人の立ち姿を美しくするのではないでしょうか。

料理においてもそうです。
美しく作ろうと形だけ囚われたものは食べなくても味は知れています。
きちんと作られたものはメニューを書く人や料理人の表現が伝わってきます。
それは内からにじみ出てくるものです。

素材やプロセスを知ることもこれからいただく物にとって大切な事ではあるのですが、メニューに書いたり、実際に説明したり、時に自ら料理に携わってもらったにしても食べる時には全て飛んでしまっているものです。
それはむしろ、食べ物にとって最も大事なことは「おいしい」。ということだ。を物語っています。
そしてその「おいしい」とは何か?
これはいくら説明しても無理なことです。料理はやはり食べ物。食べて初めて伝わるのです。

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2014年12月22日月曜日

ムカッ!ときたときにあなたがすることは? そもそもの間違いと簡単に回避できる2つのルール

客商売をしていれば、いやサラリーやギャラをもらう仕事はなんでも同じだと思いますが、良い客(スポンサー、オーナー、クライアント等々含め)悪い客は必ず居ます。
沢山お金をいただける顧客は資金的にビジネスを支えてくれるため”良い”と分類されるのかもしれませんので、そういう意味ではありがたい客、困った客と言ったほうが抵抗感が無いでしょうか。

困った相手に遭遇して、あなたはムカッ!っときてそのあとどうしますか?
の話です。

どんな商売でも良い顧客が欲しいに決まってます。
(例えなので深く突っ込まないで欲しいのですが)
ミュージシャンなら、音楽の解る観衆、あるいは良い会場をセッティングしてくれる主催者。
レストランなら、味の解る客、あるいは頻繁に利用してくれる客。
料理人なら腕を認めて高く買ってくれるオーナー。
これらは、自分の価値観でしかないから、中には楽な仕事で休みが多くて沢山サラリーをくれる会社こそ良い会社、と考えている人もいてしかるべきです。

よく「うちの会社は上司が意地悪で、社長は何も解ってなくて・・」とか言うサラリーマン、「こないだ来た客は最低で、店は汚すし大声で迷惑かけるし・・・」とか、口癖のよう言っている人がいます。
それが大間違い。

私は思います。
その不満を漏らす時点で自分の責任を転嫁していると。
それは私だって顧客関係で気に入らない事があれば、文句も口にするし、そうでもしないとやっていられない時もありますが、実はそんな事を言ったり頭に血を上らせている場合じゃ無いんです、それは我慢ではなく、権利放棄のようなものです。

客観的に感じる事ですが、会社に不満を持つ人は、その会社に誰かの指図で勤めさせられたのでしょうか?辞める意思決定は自分が出来ない立場なのでしょうか?
大抵はそうではありません。「借金が」とか「家族が」と言うのでしょうが、それも責任転嫁です。
そう言いつつ辞めない選択をしているのは自分ですから。
本当に耐えられないなら自分の意思で継続することを辞めるのが人間です。
なら、何かのせいにするように自分をごまかすような事を口にするのはわざと遠回りをしているようなもので、それよりもっとやるべきことや、有効な選択肢が必ずあります。

人の商売がかっこ良くて羨望感を抱くことがあります。人間なら誰でもそうではないでしょうか。
プロのスター選手は天才だ、有名アーチストの持って生まれた才能が羨ましい。
某企業はCEOが逸材で大躍進した。某人気テーマパークは優秀なキャスト揃いだ。某超高級店は維持できる資金力とパトロンのおかげだ。・・・これ、全部自分以外の人の事です。

何も解らない若い頃は自分とそれらの環境の違いに戸惑っていましたね。
しかし、そんなことはバカバカしいことだと次第に気付きます。歳を取るというのはありがたいことです。
なぜバカバカしいか簡単に言うと、「自分がそれを選んで来なかった」に尽きます。
すると、じゃぁ野球が好きだった私はイチローのようにプロ野球選手になれたのか?と聞かれたら・・
いいえ、それには「なれません」と答えます。
当たり前です。あなたはイチローではありませんから。
要するに、イチローを目標にするのは間違いではありませんが、その真似をしてイチローになろうなんてことは出来ない、ということです。あなたはあなたでしかありませんから。

自分が自分を認め、自分でしかやれないことに気付きとことん磨いたか?その結果です。その才能やセンスみたいなものが自分にあるかどうかも思考無用、なぜなら結果は最初にあるものではありません。
その過程で導かれた選択肢を自分の意思で選んできたか?の問題です。
産まれた国が、産まれ持った才能が・・最初にラッキーありきではないのです。

店に良い客が来ない、と言って嘆く店主。
スタッフが働かないというオーナー。
そして、今の仕事に不満を持つサラリーマンは、ぜひ自分のルールを作ってみてください。
1.ルールに背くものは排除する。
2.ルールは改善する。
その精神でいけば、今日からつまらない事で腹を立てて回り道をすることは無くなります。

2014年12月20日土曜日

地域と人の縁。おせちは美味しさよりも嬉しさがそこにあります

振り返ると2014年は、様々な分野での講座、講演、ワークショップの仕事をこなした年。
子どもさんからお年寄りまで、そして学校のボランティアから企業のコンサルティングまで依頼をいただき多くの方とご縁ができました。
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本日の講座「おせち」を進めながら思いました。
1年で最も重要な節句である、元旦にいただく料理のおせちは「その年の暮らし方そのもの」です。
春、雪解けが早くて採るタイミングを逃してしまった山菜のこと。
空梅雨と夏のじめじめでタイミングが難しかった、かんぴょう干し。
深山の仕事のお陰で、たっぷり拾った胡桃。
栗や柿が豊作だったなぁ〜とか、いただいた大蕪で千枚漬けの作り方を習ったこと・・・などなど、年末の料理の素材は思い出がつきません。
そして皆さんも、その年のお付き合いによって、食べ物のいただきものが変化したりしませんか?
田舎は特にそうなんだと思いますが、私はそれこそがおせちだと思います。

自分や家族がこの1年どのような暮らし方をしてきたか、お付き合いを大切にしてきたかを、歳の瀬に料理作りで振り返ることができる。これは主婦の役得です。

料理屋さんや専門家が作るおせちは豪華で美味しいものですから、忙しくて用意できないかたはご利用ください。但し、少しでも家の手作りのものをそこに加えてて欲しいと言うのが私の考えです。
メニューには、自分が好きなもの、家族の喜ぶものを入れましょう。それによって変化していく日常と家族、地域との繋がりを見つけ易くなります。

本日は、普段料理を作らない方のために、最低必要なタイムスケジュールや調味料のリスト。定番のおせちの手順に加えて、妙高らしさと村シェフらしさをプログラムに盛り込んでみました。
  • 郷土料理のサメの煮こごりは、トヨ型に入れて。
  • 大量生産ではできない煮菜の作り方。
  • 鶏肉ロールはハムのようにマリネしてから合理的に蒸して作ります。
  • 黒豆はシワの寄る、昔ながらの味のレシピを紹介(これは関東風らしいです)
  • サーモンのナマスや、テリーヌ風かまぼこ。お得意の塩鮭の頭の昆布巻き。 などなど。
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おせちは、家に伝わる伝統を作り続ける必要は無いと思います。
一生懸命暮らしてきた1年を大切に、自然に身の回りにあるものと、自分の作りたいもの。家族の喜ぶもの。そしてお客様に喜んでもらうものを作りたいと思います。
そして昨年のおせちはどうだったかな?と振り返り、家族がどう変わって行ったか(旅だった人、仲間入りした人…)思いを巡らすためにも毎年作り続けたいものです。
写真に撮って他人とシェアは二の次で・・。

「1年の計は元旦にあり」と言いますが、私はこう解釈するようになりました。
おせちは1年を振り返るためにあって、その成果物ではないかと。
そして新たな1年で最も大切な元旦に手作りのおせちを家族で囲みながら、「この1年はこんな年にしたいね」と思いを語る。
忙しくて出来合いのもので済ませた時は、一生懸命仕事をした年なのでいつか充実した時代(とき)がやってくに違いないと思います。
地域や人との繋がりの多い食材で囲まれている時は心から感謝でき、幸せに思えます。
そして創造的な今年の計画を企てます。
するとおせちは1年で最も大切な料理、と考えることができませんか?

こんなおせち作りに、3か条を考えました。
1.自分らしく作る。
2.家族やお客様の事を思って作る。
3.昨年を思い出しながら作る。

何の強制力もありませんが、以上が私が伝えたいメッセージです。