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2024年3月11日月曜日

トキめきを作ろう 〜「忘れないために」を思い出させた菓子

こうなることは予測できていた。

人は痛みを忘れるように出来ている動物、
だから、忘れない、忘れまい!という強い意志を込めたつもりだった。

なぜか数字に拘りの強い私!?
忘れたくない時を刻む、ふっこりん(復興鈴)は「時を数字で記し、風化しないやきものに刻む」というコンセプトで産み出したものだった。

2011.3.11 この日の恐怖は絶対に忘れてはならない、そう誓った日々・・

1.東日本大震災の復興を支援しようと、震災の起きた2011年の5月に「新洋軒のロイヤルライス」を復活して、義援金を集めたイベント

新洋軒のロイヤルライス

「新洋軒のロイヤルライスで昔を思い出す日」を見る(https://neo-cam.net/archives/2011/04/19-092608.php


2.翌年の2012年3月11日に、再度義援を呼びかけたイベント
「新洋軒のロイヤルライスで未来を思う日」



このイベントで皆さんが書いた思いの札を焚いた、2012年11月30日の小濁窯


3.11月30日の小濁窯メンバーで、翌年2013年3月11日にワークショップを開催。
復興鈴第一号を製作


時は流れ、2024年3月10日

”明日がその日”であることにすっかり優先が低くなってしまっていた自分を反省しつつ、精一杯、ご予約のお食事の仕事をした日だった。

ヨモギ入りのリッチなスポンジケーキに自家製のつぶあんと生ホイップを混ぜたクリームをサンドイッチしたデザートを作る最中・・

妻が、「あんこをカステラで挟んだお菓子あったよね、何て言ったっけ?」というので・・
そうそう、黄色と黒茶のストライプ!
形と味は直ぐに思い浮かんだ。

あれこれ調べているうちに、それがシベリアという歴史的なお菓子であると分かった。名前の所以から、羊羹を線路に見立てたという説がある事を知り、「来年は2本線で作ろう」などと考えながら、妻のアイディアをいただいて「トキめき」という名前をメニューに記した。

  • 上越妙高の風土にピッタリの野草「ヨモギ」(当地ではモグサと呼ぶ)と小豆のあんこは、笹団子でおなじみの出色のマリアージュ。
  • 9年前の2015年3月14日は、北陸新幹線「上越妙高駅」および、えちごときめき鉄道の開業日で、ちょうどその日に新井駅前に机を並べて作った、20150314の復興鈴が思い起こしてくれた(https://fukkoring.jp/150314
  • 銘菓シベリアをリスペクトした「トキめき」

トキめき を作ろう

ヨモギの新芽が出始めた原っぱと、茶色がかった残雪に点々と見える土・・上越の春だなぁ〜!
トキ鉄沿線の料理屋さん、お菓子屋さん、ご家庭でオリジナルのトキめきを作ったらどんなに素敵だろう♪

復興鈴を食堂にディスプレーする妻の、あのお菓子なんて言ったっけ?の一言から、
連想ゲームのようにして出来たお菓子。
そして辿ってみたら、亡くなった仲間との思い出や、決して忘れまいと誓った過去の自分、などなど・・・、様々な思いと遭遇した。

今日こそこの記事を書く日だ。そんな思いで書いた。

2014年10月28日火曜日

おもしろいは伝えるより味わうほうがおいしい

結局のところ・・どんなに美味しいものも、食べている本人しかその味は解らないわけで、
どんなに美しい写真や映像も、どんなに巧みなコピーによって伝わった気になっても、自分の舌やお腹には何の刺激も与えられてないんだ。

 難しいからと言って止めてしまう人。はなからやろうともしない人。
それも好みだから他人の選ぶ事に何も言いたくない。

但し私はこんな面白いことはどんどん人に伝えたいし、なぜなら、頭だけ働かせて「へ〜」と、好奇心だけで 済ますのではなく、実際に身体で体験してみて欲しいと思うのだ。

▼これは2つとも同じロクロの作品。しかも同じ窯から出てきたもの。左は無釉の灰かぶり、右は白化粧。
棚板一枚の差で天と地ほどの別の人生を歩むのかなぁ・・と。

PA282913th

▼熾で焦げて自然釉がたれるほどついた徳利。
この窯では大きく2種類の薪を使った。下層に乗っているのはあそこの松だな、上層の色はあそこでいただいた杉だな。

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▼窯中段これは思うように白くならなかった猪骨灰入りの藁白。
厚くたれたところだけ淡雪のようになっている。あの時食べた猪の骨。Kさん擦り方あまかったけど大丈夫だったみたい。 

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▼この固い釉をバッチリ溶かしてくれた薪は凄い!Tさんが焼いてくれた籾、未だに役立ってます。
しかもこの斑点は砂鉄混じりの小濁の土。細かいメッシュを通したあれだ。 

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▼この色は大好きです。カオリンを入れたマット釉。ベースはNさんの雑木灰に鉄を更に足す。還元がかかると見事に青鼠色。
強度は弱いけど自分で掘った土ならではの表情が出てくれる。 

PA282916th

 

これらの全ての作品、つい先日同じ薪窯から出てきたもの。
花を入れて飾ったり、料理を入れたりしてみたいが、きっと一番美味しく感じるのはやった本人なはずだ。 

2014年7月22日火曜日

大人こそ才能を開花せよ。お顔のピザを見るたび思う

「子どもは天才」と大人は言う、確かに大人が見てドキッとする作品を作ったりする。
ではそれは子どもならではの発想で、大人になるとそれが退化したり乏しくなるものかな?と思う。

 

料理教室やモノ作りワークショップで私は、参加者に同じテーマを与え、様々な人がそのテーマに取り組む姿を目の当たりにする。
モノ作りはそもそもが発想が表に出る作品作りなのに対して、料理教室は食べる物を作るという概念(先入観)が先立つ点で少し差がある。
しかし、それにも囚われないのが子どもの発想だ。 

子どもが交じりながらのクッキングワークショップ。子どもにとって素材は食べ物であっても粘土であっても、ひたすら思いのままに作る。
大人と違うのは、人に見られるという格好や、失敗を含めた完成度、作品を作りたいという姿勢に対する「自分縛り」が殆ど無いことだ。
あるとすれば、大人がそれを許さない時など・・。 

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アール・ブリュットという言葉がある。(Art Brut:生の芸術)
私は「自発的な表現行為」 と捉えた(アルネ小濁の表現活動)。自然に生まれてくる「作りたい、表現したい」という素直な行動を妨げない表現(物)ということだ。

ピザ生地を伸ばした子どもは、たまたま突っとがってしまった2つのハシを耳にして、チーズとトッピングで動物の絵を書き出す。
それを見た大人はアートだ。と言う。しかし10人に1人くらいの子どもは、いやもっと多いかな、ピザで顔を描き始めるのである。 

 

2009年の仕事で、健常者と障害者が一緒に制作活動をし表現について学ぶワークショップを行った。
テーマは「妙高のいきもの」。

地元の土の採取から始まって、テーマから発想する作画、そして粘土による制作と進む。
この作品はその時最も印象に残った作品の一つ。障害を持つ大人が作った野焼きの作品だ。 

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輪積み(わづみ)という土器によく見られる制作方法によるもの。
私が作り方の一通りを説明した後に制作されたもので、「積んだ粘土紐は繋ぎ目をしっかりとつぶしてくっつけること」「細かい突起物は上からかぶさる薪や扱いの途中で壊れやすいため注意すること」などの注意事項は伝えてある。
注意の理由は、粘土造形における「輪積み技法」の基本(常識)と、野焼きの時に起きる破損のキケンを回避するためだ。

指導者は知らずのうちに「出来たものがまずいと言われないように」とか「壊れた時の責任」の回避や「出来なくてつまらなかった」から逃げる習慣がついている。上手くできるところから興味を伸ばすのだ、と考える場合もある。
人の言葉に妨げられないのが アール・ブリュットを生みだす人々なのかもしれない。 

書は不思議な力で表現を加速させる。
文字という常識に、毛筆という不自由なインターフェースに、想像を深める墨の色が、光や影、強さ弱さ、しなやかさ激しさなどをより自然に導いてくれる。

これも障害を持つ大人の作品だ。 

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絶妙な間、絵画的なバランス、その表情の豊かさから土の匂いや花の色、山やそよ風すら感じさせてくれるようだ。

ふと気づく。

子どもの作ったお顔のピザを見てアートだ!と心を動かした者。
言われた事を無視して出来上がった土器に唖然とした者。
自由な文字を眺めて、いいなぁ〜と思った者こそ、自分に内在するものを感じ新たな表現を生む可能性を持ったクリエーターではないか?

大人は経験によって逃げる事や、恐れを身につける。
しかし同時に「悲しや嬉しさや感動を高めていく」ものだと思う。それも、それぞれが違った体験によるものだからより個性的、かつ人間として味わう喜怒哀楽という共通部分が根底にある。

多くの大人は経験により自分が上手に出来なかった事を認知し自分を評価している。それによって「自分には出来ないこと」「自分はやらないこと」を決定してしまう。いわゆる「自分縛り」。
正当化させ、理由作りが上手い、ある意味利口な者ほど都合よく自分を縛ってしまっていないだろうか。「表現不器用」になっては残念。そう思って欲しい。

私は思う。
年齢を重ねて、発想が退化するのではなく自分を縛っていくだけなのだ、と。なぜなら感性は経験によって深まるもののはずだからだ。
音楽でもスポーツでもアートでもなんでも・・素敵だなぁ、凄いなぁと感じた時が自分縛りを解くチャンス、表現の扉を開ける時ではないか。

2014年6月25日水曜日

大抵の人が気付かないことは本当の美味しさと言えるのだろうか

毎年行っている地元素材の焼きもの。今年度は「小濁焼講座」として実施している。
焼けるかどうかも解らない、どんな色かも解らない、焼いてみないと解らない材料を集めてきて失敗も含めて楽しんでいる。
いや、多くの失敗の中から成功を探す作業。失敗すらも成功にしてしまう作業と言ってもいい。(小濁焼講座2014:土研究その2(結果)と釉研究報告

プロは失敗は許されないとよく言われるが、思い通りの焼きものをこの条件で作るにはかなりの危ない橋を避けまくって通るか、割りきって成功率を1%でも上げていく様々な経験を積んでいくしか無い。・・の世界。

私はこんな葛藤の中でのものづくりが大好きで、それを乗り越えると必ず至福を味わえる時間がやってくる。私にとってはこれが正に美味しい経験なのだ。


皆さんはどうなのか?と思う。
本焼きして10%しか縮まない新しい土を見つけて感動すること。
あの時味わった猪の骨で安定した乳濁が起きた釉の美しさに見とれること。
さらにこれらで作った器で料理を盛りつけた時の喜びなど・・。

こんな価値を共有できるには実体験しか無いだろう。だから皆んなで一緒にやりたい、に繋がるのだろう。
大抵の人が気付かないことは本当の美味しさと言えないのかもしれない。
しかし分野は違っても同じような経験をもっている人に逢うと何か通じるものがある。そんな人ならこの美味しさをきっと解ってもらえると思う。