見たもの、聞いたもの、そのかすかな記憶を頼りにイメージの中で料理を作ることがある
昔、私がまだ小学校低学年のころ、近くの神社のお祭りに連れて行ってもらった時に見た、焼きそばの屋台。鉄板の上で2枚のヘラを使い、手際よく作る姿。”ジャーッ”という音、もうもうと上がる蒸気、ものすごくいい香り。
その味はと言うと、家やレストランで食べるものとは全く異なる美味しさがあって、その「美味しさ」の解読のために食の仕事を抜けられなくなったと言っても過言では無いと思っている。
「この屋台の焼きそばの味はどうやったら再現できるのだろう?」
このようにして、思い出すたびにモヤモヤする「屋台の焼きそばの味」を求めて、特別な意識もないまま探求の旅に出ていた。
粉末ソースの焼きそばが、スーパーに並んでいたかどうかは覚えていない。ウスターソースの時代だ。
中濃ソース、とんかつソースはかろうじてあったような覚えがある。
家は料理屋だったので、ラーメンの生麺はあり、トンカツ用のウスターソース、塩コショウ、オムライス用のケチャップもある、とりあえずそんな所で挑戦した。
麺を茹でては失敗し、ウスターソースでびしゃびしゃになり、ケチャップを投入。
塩、砂糖、こしょう・・と、どう組み合わせても美味しくないし、味がどんどん濃くなっていく。
あの色、匂い・・。少し違う、ではなく全然違う。そして、再びお祭り屋台の季節がやってくる。それが繰り返された。
数十年たった今、この思い出を振り返ってみる。
「調味料の違いや特徴」、「美味しく感じるために必要な材料」、「旨さに対する人間の感覚」など、いろいろ学べたと思うが、それより増して、情報や出来合いのものに頼らずに、しかも長い時間をかけて工夫を繰り返した、貴重な体験からいただいたお土産のありがたさに気づくのである。
申し上げたいのは、今それを求めることが「非常に困難な社会である」ということ。
無いからこそ生まれる文化がある。いや、無いからこそ文化が生まれる
昔と比較しても始まらないことを言うが、
戦後の日本と言えば、過去の歴史と新しい文化が入ってきた時代。
道具にしても、食材にしても、食べ方にしてもそう。
ラジオやテレビ、新聞と限られた情報の中で、見たり、聞いたり、お茶飲み話で情報が拡散していく興味津々な異文化が、貧しさと、気候風土の違うそれぞれの地方において、農業や漁業という食を生産する暮らしの中で、それぞれが全て同じように地域や家庭に浸透していきようはずがないことは言うまでもない。
地域固有の文化が発酵、熟成していく。
さらに、家ごとの週間(伝統)が、家族の好み、親戚やご近所の交友の中で、楽しくおかしく、そして嬉しく作り上げてきた。それは私たちの心の中のさまざまな思い出が証明してくれる。
食の文化。これは自分たちの手を通して、自分たちに合わせて、工夫して作られることが肝心なのだ。
過去のたまたまのおかげと、黙認してよいものか
さて、今は情報があるから迷わない。そもそも苦労するまでもなく手に入る。
選択するのに迷わされるだけで、努力はもとより考える余地が無い。
そして、見た目の判断で一瞬のうちに拡散され、次々と新しいものに変わっていく。世の中全体がそのようだ。
それには大いなる希望があるため全否定はしたくないが、その一面においては、私は全く魅力を感じない。
何がいいのか、何が楽しいのか、何がおもしろくて嬉しいのか。
おそらく、だが、それを当たり前として生活を始めたミレニアム世代以降の価値観は、それでも新たな食文化を生み、担っていくのだろう。そこで、自分に何ができるのか。
過去の、面白くもへんてこでも工夫して作り上げてきた食のストーリーを文化財として伝えることか。
新たな創造の道に活かすべく機械学習に加担すればいいのか、そうでなければ、ただ食い物にして自分ひとりの思い出として墓に持ち込めば納得か。
これだけは伝えたい。
料理は文化づくりである。そして料理人にはその使命がある。
どのように作るか、伝えるか、は人それぞれであるが、決してあきらめず、研鑽し、精算したら社会が半歩でも前に進んでいけるようにしなければならないのである。
人口減少も、コロナも、気候変動による世界的な食料危機も、そして未来の食文化の懸念も含め、自らに戦おう。