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2022年3月3日木曜日

料理は文化づくり

見たもの、聞いたもの、そのかすかな記憶を頼りにイメージの中で料理を作ることがある

昔、私がまだ小学校低学年のころ、近くの神社のお祭りに連れて行ってもらった時に見た、焼きそばの屋台。鉄板の上で2枚のヘラを使い、手際よく作る姿。”ジャーッ”という音、もうもうと上がる蒸気、ものすごくいい香り。
その味はと言うと、家やレストランで食べるものとは全く異なる美味しさがあって、その「美味しさ」の解読のために食の仕事を抜けられなくなったと言っても過言では無いと思っている。
「この屋台の焼きそばの味はどうやったら再現できるのだろう?」
このようにして、思い出すたびにモヤモヤする「屋台の焼きそばの味」を求めて、特別な意識もないまま探求の旅に出ていた。

粉末ソースの焼きそばが、スーパーに並んでいたかどうかは覚えていない。ウスターソースの時代だ。
中濃ソース、とんかつソースはかろうじてあったような覚えがある。
家は料理屋だったので、ラーメンの生麺はあり、トンカツ用のウスターソース、塩コショウ、オムライス用のケチャップもある、とりあえずそんな所で挑戦した。
麺を茹でては失敗し、ウスターソースでびしゃびしゃになり、ケチャップを投入。
塩、砂糖、こしょう・・と、どう組み合わせても美味しくないし、味がどんどん濃くなっていく。
あの色、匂い・・。少し違う、ではなく全然違う。そして、再びお祭り屋台の季節がやってくる。それが繰り返された。

数十年たった今、この思い出を振り返ってみる。
「調味料の違いや特徴」、「美味しく感じるために必要な材料」、「旨さに対する人間の感覚」など、いろいろ学べたと思うが、それより増して、情報や出来合いのものに頼らずに、しかも長い時間をかけて工夫を繰り返した、貴重な体験からいただいたお土産のありがたさに気づくのである。
申し上げたいのは、今それを求めることが「非常に困難な社会である」ということ。

無いからこそ生まれる文化がある。いや、無いからこそ文化が生まれる

昔と比較しても始まらないことを言うが、
戦後の日本と言えば、過去の歴史と新しい文化が入ってきた時代。
道具にしても、食材にしても、食べ方にしてもそう。
ラジオやテレビ、新聞と限られた情報の中で、見たり、聞いたり、お茶飲み話で情報が拡散していく興味津々な異文化が、貧しさと、気候風土の違うそれぞれの地方において、農業や漁業という食を生産する暮らしの中で、それぞれが全て同じように地域や家庭に浸透していきようはずがないことは言うまでもない。

地域固有の文化が発酵、熟成していく。
さらに、家ごとの週間(伝統)が、家族の好み、親戚やご近所の交友の中で、楽しくおかしく、そして嬉しく作り上げてきた。それは私たちの心の中のさまざまな思い出が証明してくれる。
食の文化。これは自分たちの手を通して、自分たちに合わせて、工夫して作られることが肝心なのだ。

過去のたまたまのおかげと、黙認してよいものか

さて、今は情報があるから迷わない。そもそも苦労するまでもなく手に入る。
選択するのに迷わされるだけで、努力はもとより考える余地が無い。
そして、見た目の判断で一瞬のうちに拡散され、次々と新しいものに変わっていく。世の中全体がそのようだ。
それには大いなる希望があるため全否定はしたくないが、その一面においては、私は全く魅力を感じない。
何がいいのか、何が楽しいのか、何がおもしろくて嬉しいのか。

おそらく、だが、それを当たり前として生活を始めたミレニアム世代以降の価値観は、それでも新たな食文化を生み、担っていくのだろう。そこで、自分に何ができるのか。
過去の、面白くもへんてこでも工夫して作り上げてきた食のストーリーを文化財として伝えることか。
新たな創造の道に活かすべく機械学習に加担すればいいのか、そうでなければ、ただ食い物にして自分ひとりの思い出として墓に持ち込めば納得か。

これだけは伝えたい。
料理は文化づくりである。そして料理人にはその使命がある。
どのように作るか、伝えるか、は人それぞれであるが、決してあきらめず、研鑽し、精算したら社会が半歩でも前に進んでいけるようにしなければならないのである。
人口減少も、コロナも、気候変動による世界的な食料危機も、そして未来の食文化の懸念も含め、自らに戦おう。

2019年3月7日木曜日

ジビエ調理のリテラシーについて

ネットを始めとして、情報が多いですね。
多いことが悪いことでは無いのですが、自分で検証したり、経験を積んで技術を習得することなく、情報に頼った判断をしてしまうことが本当に危険だと思います。また、SNSでシェアされて、それで認知されているように思ってしまうことも怖いです。
例えばジビエをおいしく安全に食べることついて、私が大切だと思うポイントを10点並べてみました。(自家消費のかたは自己責任でやっていただいて問題ありません。)
ところが、プロの方でも(プロを自負しなくとも販売しているかたも同様)知識不足だったり、違いが分からずにお客様に提供していることが少なくないと思います。
一部、給食調理やケータリング等で主流になっているクックチル技術も含まれます。

【野生肉の処理と加工の知識】
□衛生面の配慮やE型肝炎ウイルスの危険性
□味に配慮した下処理
□部位ごとの料理法
□個体差があることの意識
□真空低温調理のメリット・デメリット

【野生肉の熟成や保存について】
私はナイロンポリで真空シール、チルド庫でエイジング。ショックフリーザーで瞬間冷凍です。以下の条件で品質に大きく差がでます。
□冷蔵とチルドの違い
□真空シーラーと脱気シーラーの違い
□ラップフィルムやポリ袋とナイロンポリ袋の違い
□エイジングの意味や必要性、ドライエイジングの危険性
□冷凍ストッカーとショックフリーザーの違い

◎食肉処理業と食肉販売業の許可を受けた施設で処理、販売されたものを、営業許可を受けた飲食店舗でなければ、料理としてお客様に提供できないことは大前提です。

2018年7月20日金曜日

フードプリンターが料理を作る時代に

ポッドキャストサーフィンをしていたら、こんな放送を見つけました。
「フードプリンターが料理を作る」
なんと、衝撃的!?と思いきや、よく考えてみたら、今の食べ物の殆どは工場で作られてるという事実に触れ、私達はそうじゃない食品を味わうため、レストランにたまたま出向きシェフの手料理を味わっているのだ、というのです。
確かに家で手料理を食べているようでも、出来ているものを温め直したり、組み合わせているだけの場合も少なくありません。
さらにそれは加速して、やがてあらゆる食糧がフードプリンターで印刷される時代がくるはずだ。ということですが、どうお感じになりますか?

課題解決のメリットも上げています。

  • 必要な時に必要なだけ作るためにロスが無く、無駄な料理を作らない。
  • 調理時間にばらつきがなく短時間であるために効率が良い。
  • その場で食べるために保存料などが不要になる。

フードディスペンサーの時代ですね。

これからの世の中は単にイメージで判断するのではなく、じっくり自分で考えて選んでいくための道具や、ものさしを個々に持っている必要があるのではないかと思います。


(以下は放送を音声認識アプリでテキスト化したものを、手入力で修正したため多少の間違いがありますがお許しください。)

音源はこちらです。  
 → https://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/eva/eva106_0407.mp3

ウェブサイトはこちらです。
 → https://www.tfm.co.jp/podcasts/eva/month.php?month=201804

【東京FM エバンジェリストスクール!/第106回/2018年4月8日】


東京 FM エバンジェリストスクール4月7日放送分のポッドキャストをお届けしましょう。フードプリントですね。3Dプリンターですね、とにかく進化しているんですよね。もう何年も登場して立っているわけなんですね。私たちのいろいろなものを作るようになってきました、という流れの中でですよ、いよいよ食料を作ると言うんですね。現実にはですね、クッキーをはじめとするお菓子類と、パスタなどなどは、ほぼ出来ているという感じですね。
ま、ほぼ出来ているというのは技術的にはできていて、それがじゃあ、お店で展開されているかとか、まだそのようにはなっていないんですが、これあのやがてですね、あらゆる食糧が3 D プリンターで印刷されるようになるはずなんです。
で、この話をするとですね、いやそんなのまだまだという意見ともう一つは、え〜そんな食事なんて3 D プリンターで、というふうには思われると思うんですけど、冷静に考えて頂きたいんですね、今の食品のほとんどは工場で作られているんです。工場で機械が作っている食品がほとんどなんですよ
私たちは、そうじゃない食品を味わうためにレストランにたまたま行って、あのプロの、あの有名なシェフの料理を味わうという体験をしているわけなんですけど、やがてそれはどんどん全部機械化できるようになるって言うのは、多分自然な流れだと思うんですね。ですからフードプリンターの世界っていうのは、まだまだこれからではあるんですけど、色々な問題解決をしてくれる手段として注目されているんですね。
それは食事を作るということではなくて、「無駄な食品を作らない」ということなんです。だから食糧問題。すごいですね3 D プリンターが食料問題を解決するわけですよね。ま、それ以外にもですね、3 D プリントをして食品を作ってそれを食べればいいわけですから、調理時間が非常にこう何て言うんですね、ばらつきがないという、3 D プリンターで印刷する時間になるわけですから短くて済むわけですね。
で、すぐに食べれるわけですから、例えば保存料であるとかそういったものを使わなくても済むので、実は良い食品ができるのではないかって言われているんです。ただ問題は3 D プリンターを使う時の材料ですね、ようは食品を生み出すための素の材料、これが今非常に苦労しているという時代らしいんですよね。
でも多分 2020年のオリンピックの頃には、3 D プリンターが普通にダウンロードしたデータで食品を印刷しているんじゃないかな、という気がすますけど、まあ間違いなくそのくらいのレベルにまで来ていると思っております。

2016年1月27日水曜日

学校生活における給食は料理ではなく営みと言えるもの

日々世界中でつぶやかれる「おいしい!」。それっていろんな意味が含まれている。
おいしいと感じるのは人間の脳だけど、空腹を満たした。冷えた身体が暖まった。食感に驚いた。食材のストーリーに感動した。友達と一緒に食事ができて楽しかった。自家製の味噌が料理になって嬉しかった。・・・・味が好みに合ったというだけのおいしさではない。
昨日のことだった(2016年1月26日)、私は市内の小学校へお邪魔し、5年生が育てた米で作る料理レシピの試作会のお手伝いをした。
ピラフとチャーハンとカレーの3種類を作る。
午前9時30分、3クラス全員が集合して本日の目的や計画を共有した後、調理実習となる。
先生は全体の流れを見ながら授業を進めていく。生徒は4×3班に分かれ交代で下ごしらえと加熱調理を行う。作業の内容で出来上がり時間に差はあったものの、お昼前には無事出来上がった。
教室で試食となり、料理はこちら。
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手前からチキンカレー(これは単味のスパイスを調合するところから作った)、チャーハンのバリエーション1チーズのせ、チャーハンの2チーズ入り、ピラフ、チャーハンの3キムチ入り
どれが一番おいしかったか?というと、優劣がつけがたくどれもおいしい。料理の完成度やコストのもっと以前に、みんなで作った喜びがそこにあるからだろう。
では「みんな」って誰のことだろう?
私は米を作ったわけでもないし、レシピを考えたわけでもない、材料を買ってきたわけでもない。ただ試作の時間に、料理がちゃんとできて、少しでもおいしくなってきちんと後片付けをするようお手伝いをしただけ。それなのにちゃっかり「みんな」の仲間入りをしている。
そこで思う、この地球環境を守る一翼を担い、一次産業を支え、一消費者として日々を過ごしている。その社会構成に参加しているとしたら、世の中で作られている食べ物の中に不味い料理なんて無いのではないかと・・・。余談っぽくなってしまった。

米料理の試食会は給食へと続いたが、そこにも感動が待ち構えていた。
村シェフもどうぞ。ということで、私も予期せず給食をご馳走になることになった。
実を言うと料理が仕事になってから、学校給食のあり方について考える事がしばしばあった。一つは食器、あと一つは献立である。現状についてとやかく言いたいのではなく、自分が給食を食べていた当時を思い起こしながら、こうあるべきだ、のようなものが漠然とあって、そのためにも実際の給食を体験してみたいという願望があった。
リアルな体験をさせてもらえるチャンスが突然やってきたというわけだ。子どもたちの中にポツンと入って正に自分が子どもになった気持ちになって。これが興奮せずには居られない。
そしてここでも新たなおいしさと出会うことができた。
この大勢の仲間たちと食べる食事は楽しいの一言。今日のメニューはスコッチエッグとコルキャノン、ABCスープ、米粉パン、牛乳。給食週間の2日目というラッキーな日だったようだ。
『世界の味めぐり〜いろいろな国の料理・食文化を知ろう〜』イギリスの料理の日である。
しかしながら、これが本格的なイギリスシェフの味に近いのか、イギリス食文化を適切に伝えているかなど愚問である。
味付けは程よい薄味でどれも適切に調理されていたが、献立表を見てさらに感心した。季節や習慣を取り入れ、栄養の説明、カロリー、そしてテーマの説明まで。これって現代の給食では当たり前のことなんだろうか?
子どもたちがたいへん恵まれていると感じ、学習と食事を含めた学校生活というものにさらなる期待感を持つことができたこの日の経験に感謝の一言である。

なぜこれほどまで給食がおいしかったか。それは、午前中の学校生活を子どもたちと一緒に過ごしたからに違いない。私は半日、40年を遡って新井小学校生のように学舎での営みに参加していたからだろう。
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2015年8月19日水曜日

思い出と文化 イナゴの佃煮

【イナゴの佃煮】

1)捕まえたイナゴは風の通りのよい網に入れて涼しい所で一晩放置。(フンを出します)
2)さっと茹でて水をきり、鍋で乾煎りします。(焦がさないように香ばしく)
3)後ろ足を付け根からと、羽根を手でとります。
4)酒、醤油、味醂、砂糖・・お好みの調味料で甘辛く煮て、汁を煮詰めます。

◎私は出汁を少し入れました。煮る時は一気に煮詰めずに、一度調味料で煮て自然に冷ましてから再び煮ました。

イナゴを捕まえたのも自分で作ったのも今回初めて。子どもの頃にいやいや食べた味の記憶をたどりながら作ってみました。

「こんな気持ちの悪いもの一生食べなくていい!」

実はそう思っていましたが、菅畑で元気に跳ねているイナゴを見た時、これはきっと身体にいいし、美味しいに違いない!
無性に調理してみたくなったのです。


炒って羽根をムシったあたりから、美味しそうな食材に見えてくるから不思議。
そして味がしみてくると、こわごわだけど味見をしてみたくなる。一つつまむと・・・うん、美味しい??
半信半疑ながらももう一つ・・・結構イケる!!

思った通り。美味しかった。




山菜や野の草、川魚やタニシや沢ガニを食べるのと同じように、里山の身近にある食糧を食べる。また一歩地域が近くなってきた気がします。
機会があったら、私と一緒に体験してみませんか。

※昔食べた記憶では後ろ足も付いていたし、羽根もあったと思います。それがまた気持ち悪い要因だったような気が。大量安価に作った輸入物だったのかもしれません。
自分で手に入れた安心な食材を丁寧に作れば、虫を食べるという客観的な思考から遠ざかっていくのが実感できます。
そしてまた「気持ち悪い」という感覚の脆弱なこと。
冷静に考えてみれば、海老もイナゴも似たようなモノじゃないかとか、動物の内臓のほうがよっぽどグロテスクじゃないかとか・・。むしろこんな発見と充実感をいただくと、是非とも日常化していきたい食文化、というふうに思えてきます。

思い出はアウトプットすれば文化なのだなぁ。