美味しい料理は、美味しい物を作ろうと思ってこそ生まれて来るものだと思っている。
「まずいと言われないように」に固執すると、冒険することもなく望まれるがままのメニューを作り、しょっぱいですか?甘いですか?をその都度聞いて味付けすることにもなろう。
そして偶然の感動を呼び寄せる事もない。
料理を作るかたに分かって貰いたいのは、自分で枠を作ってしまわないで欲しいということ。
鯖なら味噌煮でしょう、新しければ〆鯖でしょう。フキノトウなら天ぷらととりあえずふきみそでしょう。山菜は郷土料理で和食でしょう、等々。
そもそも和食という枠なんて誰が決めたの?それくらい思って欲しい。
(あけびづる、クレソン、ワラビを使ったサラダ/ウルイを添えた木の芽ソースの魚料理/コゴミとウドを組み合わせたパスタ:2013年5月12日の料理教室にて)
今日のワークショップで、「ウドってこんな食べ方が出来るんだ!?」と感心したり、「ワラビにドレッシングをかけるのって意外だった」。などと感想を持たれた方はいなかっただろう。
感想があるとすれば「素材の味に気づいた」や、「私は今度こうやってアレンジしてみたい」。
つまり、+のインスピレーション。それは、まずいと言われないようにと作った料理には無い大切な”伝達”(人から素材へ、素材から人へ)である。醤油味だと思い込んでいたワラビ料理のことなどもはや忘れてしまっている。
作り手は成功へのトライができる一方で、食べる側にはそれが薄い。今日は寿司が食べたい、今日はとんかつが食べたい。という具合で具体的かつ枠を超えにくく、ミスをせずその目標を達成したいと考えるものだ。
素材の持つ潜在能力、作り手の表現力は「定番」と呼ばれる料理の枠などなんなく飛び越えてしまう。そこにあるのは、新しい(今までとは違う)という表現ではなく「美味しい」である。「まずく無い」では無いことはもはやお分かりの通り。
そして同じ事が、学校教育でも、街づくりにも言えるのではないかと思う。
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