料理を作って商売をして30年になる。
私の仕事は誰のためだろう?
● お金を稼いで自分や家族が暮らしていくため
● 美味しいものを作ってお客様に喜んでもらうため
● 美味しいものを食べている姿を見たり、スタッフとそんなお客様楽しい時間を共有するため
● 食材や料理を通して、文化の伝承や食環境の保全に寄与するため
ざっと思い当たるところを挙げてみるが・・。
私は高校を卒業後の就職先を東京のホテルを選んだ。友人はみな大学進学の進学校の公立の普通高校に入ったが、入学後に選んだ進路は就職だった。
家業であるレストランを継ごうと思い、それも単純に山とある古い食器が勿体ないというのが発端だったと微かに覚えている。
ホテルの入社試験の面接の際、「祖父の料理に対する情熱が..」と口から出てしまったように、私が料理を作る意味はモノに対する思い入れや人の思いを繋いだり伝えたりするための表現方法のような気がする。
それが、何故料理で無くてはならないか?というのはその後の経験値によるが、
究極誰のためか?と問われればそれは単に自己実現や自己満足かというと、きっとそうでは無い。
去る5月26日(日曜日)に菜の花まつりという催しが妙高山麓都市農村交流施設とその周辺で行われた。妙高市の主催、妙高市グリーンツーリズム推進協議会の企画、運営ということで、私がメイン会場のレストランを任せられた。
「妙高はなまるレストラン」
…村シェフによる地元の食材を利用した特別料理、というふれこみで。
▼当日のメニュー
当日頂戴したアンケートのご意見は様々。味やサービスに好評を沢山いただいた中、メイン料理が遅いとのご意見も。お待たせしたお客様には申し訳なくプロとしては問答無用。しかし状況を考えて内心は寛容、かつ次の仕事に活かすのみ。
料理は誰のためか
例えば今回のテーマから考えたメニューは、第一に菜の花を楽しんでいただこう。そして大洞原の食材を使おう。妙高の食材を知っていただこう。・・・そして集めた素材は多種多様。
菜の花、菜種油、牛乳、じゃがいも、米粉、華麗舞(米)。
地元産がすべて正攻法でストライクなものばかりで無い。さらにコストがかかる。提供されたものであっても仕込み時間は一般の方が想像もつかないほど係ることも少なくない。残った材料は回せない。人件費もかけられず、リスクが大きすぎる仕事。
イベントの仕事は目的地を見失わず、目標をクリアし、いかにプロとしての提案ができるかではないかと思う。そしてイベントに限らず、お客様同様に働くスタッフに何を残せるかではないか。
私は私ならではのメッセージを皆さんにお渡ししたつもりだ。それはいつどこで何によって誰のために発芽するかは解らない。
●前日。開ききってしまった一面の油搾用の菜の花畑から蕾の多いものをピックアップ。
●「みん菜の油」昨年搾った花畑の油。味はナッツ系、癖も個性も弱め。これをたっぷり使う。
●地元産の豆腐の水を絞り、私が起こした麹の塩麹でマリネしてオードブルに。
●手作りのチキンベースの白ソーセージ。前日に収穫した都市農村交流施設のセージを刻んで入れてある。無添加。
●大洞原産のじゃがいも。メニューを書いた後に渡された、この品質に下ごしらえに手こずる。妙高市産の米粉とニョッキに。
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