2013年4月9日火曜日

素晴らしい師から習うことは多くの課題を見出すチャンスである

話に聞いていた石川克也さんの蕎麦を体験した。
蕎麦を蒔き、手刈りで自家製粉。現在専門の蕎麦屋を営んではいない。千代田区の和食店で修行の後、妙高で蕎麦の腕を磨いたそうだ。
仕草が美しい。ハキハキとした性格で人当たりが柔らかく、上手くおだてながら指導してくださるので、その気になってしまいそうだ。

ところで、この不思議な「蕎麦」という料理 ー
「香りとは、喉ごしとは、風味とは・・地域によって混ぜるものも違う。蕎麦打ちに大切なものは何なのか?」
あまりに入り口が多く奥の深い。それゆえ真剣に向かい合う機会を失っていた。
蕎麦に限らずこう言ったもの、身の回りに多いと思う。

流行っている店が必ずしも旨い訳では無い。実際に店で味わって自分なりの感想は持てても、それが何によるものか?は仮設の範疇を超えることは無かった。
さらにおいしさを自分のものにするには何がしかの基準を持つことが大事だろう、今日はそのチャンスだった。

蕎麦の材料の説明から入り続いて打ち方。そして打ち上がった蕎麦を前にする。
先ずは私の蕎麦を茹でてもらい試食をする。蕎麦の香りがほんとにいい。今日習ったのは「二八蕎麦」。小麦粉が入っているという先入観を失ってしまうほど蕎麦の味がしっかりと出ている。
もちろん普通に繋がっている。・・これが自分が打った蕎麦?と見紛うくらいまともな蕎麦である。

私の蕎麦

続いて、石川さんの打った蕎麦を試食して唖然。全く別物。

石川さんの蕎麦(右は太さを変えて切ったもの)

箸でつまんだ時の姿、口に入る時のまとわりかた、そして風味、香り。
具体的な僅かな違いの集合が、結果的に歴然としたおいしさの違い。


蕎麦打ちを自分でやったような気になっているが、最も大事な部分は全て石川さんがやってくださっていた事は解っていた。そこをいかに自分のものと置き換えていけるかで、自分の蕎麦の世界が見えてくる。そう理解した。

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